森 武輝の雑記

艦これを中心にアニメやラノベのSSを書いていくつもりです。基本的に一人称視点にて書きます。

【最近のひとこと】 次の記事は雑記の予定です。艦これのプレイ方針なんかを書きたいかな~。

夏の半券


 目が覚めて、最初に右手を確認した。
 いつもはそこに彼女がいた。僕は腕がしびれるのも構わずに、彼女が泊まる日は必ず腕枕をしていた。そうすることで二人の仲を円滑に進められると信じていた。身体の関係だけが夜の過ごし方じゃないと言い聞かせていた。そういう宗教なんだ。
 背中と後頭部に熱を感じて寝返りを打った。体中汗ばんでいる。彼女は寝る前に冷房を切る人だったから、クセで昨夜も冷房を切っていた。おかげで寝起きは喉がカラカラになる。冷蔵庫からペットボトルに入った飲みかけのミネラルウォーターを出して、口を直接つけないよう気をつけながら中身を飲み干した。その姿を見て彼女はよく笑っていた。

「全部飲みきるんだから口をつけちゃえばいいのに。飲みにくくないの?」
「癖なんだ。変かな?」
「知ってる。昔からだもんね 君らしい」

 確か、こんな感じの会話をしていた。

「またその飲み方してる」
「うん」
「かわいい」
「うん」

 昨日はこんな感じだった。飽きずによくやったものだ。まあ、それも昨日までの話。今日からは、僕の水の飲み方を茶化してくれる人はいない。冷房を切る人もいないし。僕の右腕を腕枕にしてくれる人もいない。昨日の夜から僕は一人だ。
 汗でべたつく部屋着をなんとか脱いで、ベランダに置いてある洗濯機の中に放り込む。窓を開けたとき、少し、勢いの衰えた蝉の声が聞こえた。
 もう、夏が終わる。彼女が買ってきた風鈴は、いつの間にか床に落ちていた。どうせ窓は閉めっぱなしなのに、どうしてこんなものを買ってきたのだろう。少し、聞いてみたい。これぐらいなら教えてくれるんじゃないかと思ってしまう。きっと応えてはくれないだろう。
 近所のコンビニに行くような格好になって、家を出た。空はまだまだ夜が濃い。近くに見晴らしのいい公園があるから、そこで朝が来るのを待とう。数年ぶりの散歩だ。
 いつもは気にもとめていなかった風景を眺めながら歩いた。自分と同じ苗字の家があることに驚いた。煙草を吸いたくなったけれど、我慢した。朝は根拠もなく綺麗な気がするから、煙で汚したくなかったんだ。でも、実は雨が降って大気中の塵が落ちたほうが、空気は綺麗だ。どんなに雲一つない晴れ渡った空でも、目には見えないだけで都会の空気はごみだらけ。つまり何が言いたいかというと、僕が煙草を吸ったくらいじゃ大差ないということ。彼女にこの言い訳が通じたことはない。歩き煙草はダメだといつも叱られていた。僕は律儀にも彼女の言い付けを守っている。今度あったときにこの話をしてみよう。きっと誠実な人間だと思ってくれるはず。
 公園に着いて、ベンチに腰掛けるわけでもなく、砂場の近くにたって空を眺めた。お腹が空いていたから、朝食のことを考えていた。昨日は食事どころではなかったから、ほとんど食べていない。一食ぐらい抜いても僕はどうってことはないけれど、彼女はとてもお腹が空いていただろう。朝ごはんだって、僕の倍は食べる。ダイエットをしたいと言いながら、よく食べた。そしてよく笑った。今朝は、彼女を見習って多めに食べよう。もしかしたら同じように笑えるかもしれない。表情を作るのにもカロリーは必要だ。科学的な根拠がありそうじゃないか。彼女に言ったら、笑ってくれるだろうか。
 人生の半分以上を彼女と過ごした。幼馴染というやつだ。彼女と僕は正反対の人間だったけれど、不思議と相性は良かった。お互いのことはだいたい知っていたし、親の理解もあった。付き合うきっかけはとても些細なことで、彼女が少女漫画のヒロインのように告白されたいと言っていたから、そのシーンを再現してあげただけ。僕としても、きっかけさえあればと機会を伺っていたから、ちょうど良かった。
 それから、中学、高校、大学と同じ道を進んだ。志望動機はいつも適当。二人で一緒にいられて、その中で一番条件のいいところを選んだだけ。それぐらい二人でいることに意味があった。このまま一生を過ごすのだろうと考えていたぐらいだ。だから、離れ離れというこの状況が新鮮に思えた。どちらかが何かをしたいと言えば、もう片方がそれに合わせる。それが僕達の暗黙のルールだった。もし昨日、僕の家に彼女が止まっていたら今も隣には彼女がいたことだろう。手を繋ぐ相手がいないだけでこんなにも落ち着かなくなるなんて思わなかった。

「寂しいとか、男らしくないね」

 そう、君に笑われそうだ。でも笑われたままでいるのは嫌だから、少しだけ頑張ろう。